※この文章は下記の影響を受けて書いたものです。
それから、私は、ちょっとでもやってみたいこと、やってみたいけど自分には似合わないんじゃないかなと思うようなことに、どんどん首を突っ込んでいくことにした。38歳で、宝塚大劇場に併設されているステージスタジオで、『エリザベート』のトート閣下のコスプレもした。その出来がどうだろうと、やれば気が済むし、楽しめる、という答えがもう出ていた。
(中略)
将来的にはもう、「そういう人」ということで自由に生きていきたい。着るものぐらい、自由でいたい。そう思うようになった。
今でも胸がチクリと痛む日の記憶。
19の頃のある日、銀座でホステスをしていた親友と、恵比寿のフレッシュネスバーガーにいた。私は彼女から「眉毛がダサい」と指摘され、少しでもダサくないようにと、眉毛を毛抜きで抜かれていた。「ちゃんと化粧すればずっとよくなるのにもったいない」と言われながら、毛抜きの痛みにしばし耐えていたのだけど、とうとう我慢の局地に達し、あろうことか、彼女の手を払いのけた。
「痛い、もういい」
私は話を、そして毛抜きを打ち切った。
それ以来、彼女が私に「化粧」の話をすることはなくなった。その後、私は大して化粧をしないまま、それなりに恋をし、24で結婚し、36で離婚した。
きちんと化粧をするようになったのは、今の彼と出会ってからだ。
彼は男性にしては、かなり身の回りに気を使う人だ。女性のファッションや化粧にも厳しく、なんでそんな身なりのままで平気なのかと、よく指摘された。相手が自分よりかなり年下であるというコンプレックスも手伝い、私は「化粧」に、いつしか必死で取り組むようになった。そして彼と付き合いはじめてから2年が経って、少しづつ化粧の腕がマシになり、今ではどんなメイクが流行っているのか、なんてことを人並みに意識して、女性誌を眺めるようになった。
今なら分かる。恵比寿のフレッシュネスバーガーで眉毛を抜かれた時に、私が親友の手を振りほどいたのは、ただ痛かったからだけじゃない。痛い思いをしても、大してきれいになれない自分が嫌だった。必死で化粧したところで、親友より圧倒的に見劣りするのが嫌だった。誰がみても「美人」な親友より美しくなれない以上、「化粧」をするのが嫌だった。
本当は少しでもきれいになることに興味はあったのだ。そこから眼を背けていたのは、私のちっぽけな自尊心。
20年かかって、私はようやく、「誰か」と比較せずに自分の顔と向き合えるようになった。「誰か」より綺麗にならなくてもいい。今の自分を少しでもよくしたい。そのために、「化粧」がしたい。そして「化粧」が上手くなりたい。
その出来がどうだろうと、やれば気が済むし、楽しめる、という答えがもう出ていた。
WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol05
「誰か」と比較しないことで、人生はとっても自由になる。出来がどうであろうと、やれば気が済む。そして楽しめる。
来週、春用のアイパレットを買いにいこう。