今日は以前読んだちきりんの『「自分メディア」はこう作る!』を再読。
改めて読んで思ったことは、ちきりんにはブレない芯があるということ。この本が出版されたのは2014年のことだけれど、2017年の今も、彼女が言っていることはブレてない。つい最近炎上したちきりんの
あたしは大学時代、つまらない授業をほっぽってアルバイトに精を出し社会勉強をし、そのお金で海外放浪して世界を知った。学生時代という時間の使い方の生産性は、すべての授業に出る生活より圧倒的に高かった。「さぼらず授業にでるのが良いこと」と思ってる人、それって本当に自分のアタマで考えた?
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2016年11月28日
というTweetだけど、2014年5月2日の時点でも同様のことが書かれている。
ちきりんのことを「炎上ブロガー」と呼ぶ人もいるけど、この方は単に賛否両輪があるだろうトピックについても意見を言うことを厭わない人なのだと思う。ちきりんが考えるブログを運営する意義とそれに対して決めている「To Do」と「Not To Do」が2017年の今でもそのとおりになされていることを、私はすごくかっこよいなと思ったし、自分もそうでありたいなと思った。
今関わっていることでまっぷたつに意見の割れていることがある。「Aでいくべきだ」「Bでいくべきだ」というやりとりをみていて思うのは、このように意見が割れていることに対し「自分はこっちのスタンスである」を表明するのは、ものすごく疲れるということ。私は既に「A」の立場であることを表明しているものの「Bで行くべきだ」という人の意見をみると、 正直心は揺れる。果たしてAでよかったんだろうかと思う。
ただ本の中で紹介されていた記事の中にこんな箇所があった。
自分の意見を持つ人にしか自分の人生は選べません。決められない人は、自分の人生を生きられないんです。そしてもちろん、仕事上で価値が出せたりするはずがない。
ちきりん~「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ~
私はこれまで「どっちの言い分も分かるけど強いていうならこっち寄り」程度のことはスルーして生きてきた。どっちもどっちなことって世の中には一杯あって、そんな時はまさに「AともいえるがBともいえるよね」という態度でいることが多かった。
それが今回「Aだ」と立場を明確にしたのは、それが意味があることだと感じたからだ。少なくとも私は、意味がある、と感じたし、今でもそう思っている。
まあただこの思いを持ち続けるのは正直しんどい。そしてちきりんのように、自分の言いたいことをブレずに世の中に出し続けていく、というのはこれの何十倍も大変なんだよな、と思う。それでも今後、発信していく人間でいたいかという答えはYES。なので少しづつ、この意見を持つしんどさにも、慣れていければなと思っている。