昨日友人がFacebookでいいねしていた記事を読んで心がざわついたのは、そこに書かれている感情が、ここ最近何度か取り上げている女性性に関するものだから。
雨宮まみの本にも、そして二階堂奥歯の本にも繰り返し出てくる、女性性に対する幻滅と男性不信。すごく共感されている方もいて、
きっと他にもいっぱいいるんだろう。
上記にあげた3つのブログの作者に共通しているのは、不本意なセックスがあり、まるで男性から「セックスだけがお前の価値だ」的な扱いを受けたことだ。
すると、彼はこう言った。
「お前には“胸と穴”しか価値がないのに、セックスできなかったら何が残るんだよ」セックスを探してる | 佐々木ののか | note
そんな経験がないのに越したことはないし、そのあたりは男性側のモラル向上に期待するしかない。ただ私が全身全霊をかけて伝えたいのは、それを「確かに自分は胸と穴の価値しかない存在だ」と言葉どおりに受け止めるのではなく、「一部の男性」の滑稽さと思えないかということだ。
女性というのは男性からみて、それだけ魅力的な存在だ。「胸と穴の価値」といったら凄まじく、少し身なりを整えてさえいれば、隙あらば狙われてしまうほどだ。一方男性というのは男性たるだけではセックスができない存在だ。ただ待っているだけでは満たされないから、時には強引に、胸と穴を、求める。「お前には胸と穴しか価値がない」と言っている人がこっけいなのは、そんな女の胸と穴すら欲してやまないからだ。「お前には胸と穴しか価値がない」と言いながら、その虜になっている、そんな「一部の男性」の性って、ものすごく滑稽じゃないだろうか。
だいたい、本当は「胸と穴」になんて、大した価値がない。いくらかお金を出せば、そのへんの風俗店で、いとも簡単に手に入る。女性ならほぼ全員が持っている、ありふれた、ただの性器。だから決して人の価値を決定づける根幹になどなりはしない。
私は自分からセックスをしようと声をあげられる女性だけが、いいセックスにたどりつくと思っている。断られる切なさと、セックスしたところで心が繋がらなかった時の哀しさと。そんなリスクを負ってもなお「セックスしたい」と言える女性だけがいつかはよいセックスにたどりつくと思っている。
女というだけで、愛情は与えられるものだと思っているなら、それは女性の中にある、「胸と穴」に対するただの過大評価だ。それだけで、性欲以外の、他人の関心をかえることはない。そしてそれはどんなに美しくたって一緒。少なくとも私はそう思っている。