昨日から今日にかけて、大興奮して読書。Kindle Unlimited で昔読んだ本を再読しようと思って選んだのが、サマセット・モームの「月と六ペンス」だったんだけど、これが最高に面白かった。
物語の語り手である「私」から語られる「チャールズ・ストリックランド」の生涯は、ある日を境に「絵画」へと捧げられることとなり、その後、彼と関わった人たちは彼の「絵画至上主義」に振り回されることになる。彼はあまりにも多くの人を傷つけ、恩を仇で返し、数々の暴言を吐く。特に女性には徹底的に厳しく
恋愛なんて、人生ではくだらん一小部分さ。肉欲ならわかる。あれは正常で健康なもんだよ。だが、恋ってやつは病気なんだね。女はわしの快楽の道具にすぎんよ。その女どもが、やれ協力者だの、やれ仲間だの、やれ伴侶だのといったものになりたがるのが、わしにはがまんがならんのだ。
「月と六ペンス」サマセット・モーム著、龍口直太郎訳
(やがて再婚して)「アタとの暮らしはしあわせかね?」と私は彼に尋ねました。「あれはわしをそっとしといてくれるからね」と彼は答えましたよ。「あれはわしの食事をこしらえ、赤ん坊の守りをしてな。わたしのいいつけたことはなんでもしてくれるんだ。あれはわしが女に求めてるもんを残らずあたえてくれるよ。
「月と六ペンス」サマセット・モーム著、龍口直太郎訳
なんて具合。
ただ生死の境をさまよったりホームレスになったりといった人生の過酷な局面も、ストリックランドはいつもでんと構えていた。
彼の絵は生前売れることがなく、極貧を極めているというのに、ストリックランドは意に介さなかった。
その首尾一貫さが私はたいそう気持ちよくて、またたとえホームレスになっても「やりたい」と思うことがあることで人は幸福だと思えて、そして何より、ストリックランドのような人を、好意的に受け止められる自分が嬉しかった。
この本を最初に読んだのは確か高校の時で、その時の「月と六ペンス」は可もなく不可もなく、というか「読んだ」ということだけに意味があった作品だった。フランスの後期印象派の画家、ゴーギャンの生涯がモチーフになり、イギリスの人気作家だったサマセット・モームによる有名な作品、という背景以外にあまり興味はなく、物語自体も「ヨーロッパ文学によくある天才に翻弄される周囲の人々。ただし本人も最終的に不幸な目にあう」という捉え方をしていた。
それが約20年の時を経て読み返すと、なんとも面白い作品になった。
これはきっとこの20年の間に、私自身が色々な経験をし、色々な人に会い、人の人生には色々あり、それは他人がどうこう評価するものではない、ということを知ったからだろう。「他人を傷つけない」というのが時には難しいことを理解したからだろう。また手に入れた安定を犠牲にし、「夢」への一歩を踏み出すことがどれほどの重みがあることなのかを知ったからだろう。
10代の小娘だった私には「月と六ペンス」が理解できなかった。そして、その頃に触れたたくさんの小説、映画、絵画といったものに、今また「月と六ペンス」のようにふと手にとったら同じような気づきがある気がして、私はなんだか今、すごくわくわくしている。
女性にとって、歳をとっていくというのは、結構切ないものである。アラフォーになってからよく思い返すセリフに
何故神は まず
若さと美しさを最初に与え
そしてそれを奪うのでしょう?
「へルタースケルター」岡崎京子著
というのがあるけれど、女性にとって「若さ」は強力な武器だっただけに、それが少しづつ奪い取られていくという現実から目を背けたくなることがある。
ただ神は若さと美しさを最初に与え、ただそれを奪うのではなく、それを成熟させていっているのかもしれない。
少なくとも10代の私より、今の私の方が分別もあり、情緒も安定し、そして賢い。

- 作者: サマセット・モーム,William Somerset Maugham,中野好夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1959/09/29
- メディア: 文庫
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