makicoo thinks

2017年のテーマは「アラフォーを楽しむ」。77年生まれの皆さん、素敵な40歳になりましょう\(^o^)/

「誰か」を失う幸せのマキ。

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昨日の記事を書いた直後からTwitterはてブを経由して読んでくださる方が多くてびっくりした。「雨宮まみさん」とタイトルには入れたものの、内容はどちらかというと二階堂奥歯に関することなので、申し訳ないことこの上ない。ただそれだけ雨宮まみさんのことを慕っていた人が多かったのだなということを痛感した。

 

生きている中で一切コントロールできないものの代表格が「他人」だろう。雨宮まみさんのように不意に姿を消してしまう人もいれば、ゆるやかに消えていく人もいる。

 

そしてそれは「死」という形でなくてもおこりえる。たとえば恋愛関係における、自分の意思に反する恋人との別れ。予兆はあったりなかったり。ただ、自分がいくら望み欲したところで自分の目の前から姿を消すということには変わりない。

 

自分の意思とは全くかけ離れた「誰か」の存在は、時にはとても厄介だ。かけがえのない存在だと感じていればいるほど、「誰か」が欠落した状態は痛みでしかない。

 

ただ、そんな物理的、精神的な別れを何度か経験して思うのは、その痛みは幸福だということ。何千何万という人がいる中で、そんな「誰か」に出会うことっていったい何回あるんだろう。濃密な時間を過ごしたはずの人でさえ、時が経つと共に記憶がぼんやりとしていく長い長い人生の中で、自分に痛みを与える「誰か」というのはなんとも貴重な存在だ。そしてたとえ別れ際に強烈な痛みを置き土産にされると分かっていたところで、何度人生を繰り返すことができたとしても、その「誰か」と出会わずにいられないんじゃないだろうか。

 

年をとるとともに「誰か」はどんどんと消えていく。ある時は不意に、ある時は緩やかに。ただ「失う」ということは「得ていた」ということでもある。誰かを失える人生というのは、それだけでとても幸福なんじゃないかと思っている。