makicoo thinks

2017年のテーマは「アラフォーを楽しむ」。77年生まれの皆さん、素敵な40歳になりましょう\(^o^)/

自殺した親友の話のマキ。

 もう今から10年以上前のことになるのだけど、私の親友が自殺した。高校時代からの付き合いで、ことあるごとに一緒に遊んでいた。とても綺麗な人だった。銀座のクラブでホステスだったこともあるくらい。

 

 彼女は母親も自殺していた。そのせいもあってか、とにかく「死ぬ」ということに対するハードルが低かった。普通は嫌なことがあると、やけ食いしたり家にひきこもったり友達にひたすら愚痴ったりする。けれど、彼女はそんな時「あー死んじゃおうかな」という思考の持ち主だった。たまに「今から死ぬ」なんてメールがきては慌てて会いにいくようなこともあったし、手首にはよく包帯が巻いてあった。ちなみに彼女の兄も似たような所があり、一度手首を深く切って血が噴き出し、彼女と兄が同居していた部屋に遊びにいったら、その跡が天井に染みとなっていて、ぎょっとした。

 

 そんな感じの彼女だったから、「死んだ」という連絡をもらったとき、「とうとう来たか」が私がまず思ったことだった。

 

 ちゃんとした通夜やお葬式はなく、火葬場で簡単に小さなお別れの式をして彼女を見送った。一番苦しまず、キレイに死ねる方法をずっと探していた彼女は、望みどおり、本当にきれいに死んでいた。花いっぱいの棺おけに横たわる彼女の肌は普段より一層真っ白で、赤い口紅がよく映えた。

 

 親しい人を「自殺」という形で亡くすのは悲しいことだ。「自ら死ぬ」なんて選択をさせてしまったことに、近くにいればいるほど、あの時ああしてたらという後悔がつきまとう。

 私にとっては、彼女が死ぬ1週間前に主催した飲み会のこと。共通の友人を多く誘っていたのに、彼女に声をかけなかった。欝で入院していて退院したばかりだしという気遣いが、彼女に無用な疎外感を感じさせたのかもしれない。そしてそもそも、そんなことに気遣いしたり、そして傷つくほど、私と彼女の心の距離は、ずいぶんと遠くなっていたのかもしれない。

 

 ただ一方で、彼女は、私が何をどうこうしたところで、結局死んだのだとも思う。自ら死ぬことを選べる人というのは、死ぬことへのハードルがとても低い。その跳躍能力は見事なもので、それはとても軽やかに、さっそうと生と死の境を飛び越える。簡単に死ねない凡人には手出しできない、ちょっと次元の違う能力だ。なんの前触れも見せず、さらっと袋を被って死んだ、彼女の手際のよさといったら、ない。

 

 生まれて初めてできた親友で、しかも本当にきれいで性格もよくて面白くて、嫌いなところが一切なかった人だった。そんな彼女と過ごした時間はかけがえのないもので、10年以上経った今でもそれは決して色あせることがない。

 

 親しい人を「自殺」という形で亡くすのは悲しいことだ。ただ、それは、そんな親しい誰かに出会えたということ。それはそれで、幸福なことなのだと思う。

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