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makicoo thinks

2017年のテーマは「アラフォーを楽しむ」。77年生まれの皆さん、素敵な40歳になりましょう\(^o^)/

貧困って何なのかよくわからくなったのマキ。

ネット界隈で炎上した、NHKに出てきた貧困JK一連の記事。私は最初この記事をみて、全然貧困じゃないじゃんと思ったものの

blog.livedoor.jp

この記事や

mubou.seesaa.net

この記事

b.hatena.ne.jp

をはじめとする2chはてブなどで色々な人の意見を見て、自分が思う「貧困」てアフリカの食料に困る人たちのイメージのままだったなーと反省。一方で、「貧困」とはそもそもどういうことで、そしてそれを社会としてどの程度まで救済するべきなのかという事がよく分からなくなった。

 

うちの実家は子供にかける支出は各種習い事や塾以外はとてもシビアだった。友達がブランドの服なんかを買ってもらっている中、私は我慢するしかなく、うちは他の家に比べて貧乏なんだと思っていた。貧乏じゃないかも?と気づいたのは、大学進学の時。地元以外NGの人が少なくない中、私はアメリカの大学受験も検討していたほど、自由に進学先を選ばせてもらい、そこそこ授業料が高い東京の私大に入り、バイトしなくても生活できるくらいの仕送りをもらうことになった。弟も地元以外の大学に入学、妹にいたってはアメリカの私大に行った。振り返ると裕福な家庭なんだと思う。ただ、全く実感がないまま、高校時代までを過ごしていた。

 

不倒城さんのブログを読むと、相対的貧困とは

「等価可処分所得の中央値の半分の金額未満の所得しかない人口が全人口に占める比率」のことを指しています。

ということで、下記の記事によると今の日本では年収125万円以下に該当するようだ。

bigissue-online.jp

そして「相対的貧困」が問題なのは、

・圧倒的な格差の前で、消えていくハングリー精神

・小学校・中学校は、義務教育ですから、どんな経済状況でも就学援助があり学校に行けます。しかし、高校になれば、親がリストラや倒産などで経済状況が困窮すると、高校を辞めざるをえなくなったり、その後の進学を諦めなければならない状況になります。高校の教員との話の中から、「親がリストラされ、学費が払えない」とか、「保険証をもっていない生徒がいる」など、学びの質の前に生活そのものが困窮している話になることも少なくありません。

・「ハングリー精神」なんて言葉がありますが、それには「自分もがんばれば、この状況を脱することができる」という自己効力感があればこその話です。そもそも圧倒的な格差のなかに長期間置かれた子どもは、意欲を喪失し、「金持ちと結婚したい」とか、「生活保護うけて、働かずに生活したい」など他力本願になるか、冒頭の小学生のように「どうせニートに」等、自暴自棄になってしまうのです。

ということで、ここまでも確かにそうだよなーと同意できる。

 

でも、一連の騒動を改めて考えてみたときに、たとえワンピ全巻買いしようが、ワンピの映画も6回みようが「進学できないから貧困」と言う意見に100%同意できないのは、多分私が家庭の方針でそういうお金使いを許してもらわないできたからで、「それは贅沢でしょ」という気持ちがぬぐえない。それが差別意識なんだ、貧困層は一切の娯楽を享受しちゃいけないのか、と言われると「確かに・・・」と言う気持ちもある。じゃあどこからどこまでが「貧困」でどこからどこまでが「社会が保障すべき」なのか。それが私が「貧困」がよく分からなくなった理由だ。

 

子供は生まれてくる家庭を選べない。それによって学業や職の自由の可能性を制限されるべきではないというのも同意。ただ色々な人の意見をみてもNHKで特集された貧困JKにイマイチ同情できないし問題意識が持てないのは「本気で進学したいなら、とりあえず節約してお金を貯めて、なんとか通えるんじゃないか」と思っているところが大きい。どうしても欲しいものやしたいことがあったら、他のことを我慢して手にいれてきた人をたくさんみてきたし、自分もしてきた。だから、なんか釈然としないのだ。

 

自分が恵まれた家庭にいたのは事実。で、多少なりとも現在安定した生活を送れているのは、家族のおかげというのも理解している。そうではなかった人たちが生活の質を向上させる機会もあるべきだし、学習の機会が閉ざされるのはなんとかした方がいいと思う。アルバイト代を学費に全てまわさなくても、進学できる人がいる。彼女のようにアルバイト代は全て娯楽に使う人だって当然いる。

 

とそこまで脳が理解しながらも心の奥底にはこの一連の報道を見た当初から、もやもやが残る。元のTVの報道もみた。自分とは違う感想を持つ人の意見も一通り目を通した。それでもこのもやもやが消えないのだ。

 

ひとつ思うのは。

  

原始的な社会では貧富の差がない。社会が発達し、衣食住が満たされていくにしたがって、「余剰分の豊かさ」の配分によって貧富の差が出る。「先進国」とは余剰分が多い状態のことだ。そしてそれを均等に配分しようとする「共産主義」はいまだかつて成功したことがない。いくら働いても一緒だとすると、労働意欲が失せ、生産活動が停滞するからだ。

 

私はやっぱり頑張る人が頑張ったなりに報われる世の中であって欲しいなと思う。貧困家庭に生まれた人にも、当然頑張れば望みが叶う社会であって欲しいと思う。ただそれをどうすると気持ちよく実現できるのかが、私の中には今、答えがない。娯楽を我慢し、子供の教育費を捻出している家庭がたくさんある。バイト代を全部進学のために貯金する人もいる。その努力が馬鹿をみる仕組みにだけはならないように、というのが唯一今、強く思うことだ。