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makicoo thinks

2017年のテーマは「アラフォーを楽しむ」。77年生まれの皆さん、素敵な40歳になりましょう\(^o^)/

Facebookで幸福度が下がる人は何をみても下がるんじゃないかのマキ

こんな記事を読んだ。

forbesjapan.com

SNSが何故うつ病を引き起こすのか。同論文は「SNS上で友人らの投稿を目にすることで、自分以外の人たちは幸せで充実した人生を送っているという歪んだ認識と、うらやむ気持ちが生じる」と指摘している。SNS上で傍観者でいると、自分は時間を無駄にしていると感じるようになる。その結果、うつ病になる。

個人的にはこの思考回路に陥ってしまうと、結局何を目にしても自分と比較してうらやむ、ねたむという感情が芽生えるから、SNSをシャットアウトしようが人生の幸福度は大して上がらないと思っている。私が思う幸せになる方法はとてもシンプル。今の自分には何が足りないかを整理して、そこに向かって進んでいくことだけだ。

スペックの高さ/低さと幸福度は比例しない

 私がこれまでに出会った人たちの中には世間的にみればとても「高スペック」な方たちがいる。芸能人もいたしスポーツ選手もいた。札束を紙袋に持ち歩いて好きなものを買いなさいと言う系の人もいた。某有名企業の跡取り息子の外車に乗って首都高速をぐるんぐるんしたり、○股している女友達のカースト的に下の方の彼(彼も当然お金持ちだ)の貢物の調達に付き合ったこともある。で、お金持ちだったりとてもキレイだったりしている人たちの中に何度か混じってみてつくづく思ったのは、スペックと幸福度はあんまり関係ないんだなということだった。

 何故なら結局自分からみて「高スペック」に思える人たちの周りには、同じくらいかそれ以上の高スペックの人がいるのだ。人気モデルの子は、そこからもう一歩あがれなくて苦しんでたし、野球選手の人は「所詮俺は海外に行けるようなタマじゃない」と自嘲気味に言っていた。札束を紙袋の人はブサイクなことを気にしてたし、跡取り息子は父親コンプレックスだったし、○股かけてた女友達は自分には見た目しかなく年を取ることが恐怖と言っていた。まー確かにそれはそうだ。上をみれば上がいて、そっちをみてしまえば、いくらお金があっても美しくても有名でも全然満たされないんだろうなと思う。

 

 一方私がかつてマネージャをしていたコールセンターには派遣だったりバイトだったりさまざまな雇用形態の人がいた。お給料こそ少なかったものの(これはマネージャだった私も一部加担している訳で申し訳ないと思う・・・)その分彼らが不幸であったかというとそれは全くそうではなく。住んでいる部屋がハイスペック組より狭くて、飲みにいくお店のグレードは低かったかもだけど、飲み会やホームパーティの楽しさというのは決して部屋の広さや料理の美味しさに比例するもんではない。もちろんみんなそれぞれ「正社員になりたい」「お金がない」などそれぞれの悩みはあったものの、その悩み方のレベルは「一見高スペック」の人も同じ。スポーツ選手や芸能人は生活レベルが転落する恐怖と戦ってるし、お金持ちの人はもっと持っている人を羨ましく思っている(人もいる)。どの集団にいようが結局みんな似たようなことで悩んでいる。

 

更に「一見高スペック」の人もそうでなくても、私からみて本人が幸せそうな人と不幸そうな人の比率はほぼ一定。そして不幸そうな人は基本的にいつも他人と自分を比べてしょんぼりしていることが多かったように思う。まさにFacebookをみて人生の幸福度を下げていく発想だ。

 

「コップに半分入った水」はそもそもいるのか?という考え方

じゃあどうすれば「Facebookをみても人生の幸福度を下げないか」だ。

 

有名なたとえ話で「コップに半分入った水をどう表現するのか」というのがある。コップに半分入った水を「半分も入っている」か、「半分しか入っていない」と捉えるか。「半分も入っている」と捉えられる思考が人を幸福にするという考え方なんだけれども、個人的には、喉が渇いていたら、本当にそれを欲していたら「半分も入っている」だけじゃ人は決して満たされないと思う。そして大抵のものは半分入っていようがいまいがどうでもよいものばかりだ。

大事なのはその「水」が本当に必要かどうかを見極めること。半分で満たされるのであればそれはそれで幸せだし、それで足りないと感じるのであれば更に幸せになる余地がある。そしてその「満たしていくステップ」が、人にとって一番容易に幸せを感じられる方法なんだと私は思っている。

 

「コップに半分しかない水」がいっぱいでも幸せの理由

SNSで見かける知り合いや有名人の「有名レストランでの会食」「豪華リゾートでのバカンス」「セレブパーティ」「超かわいい自撮り写真」「華々しい仕事での活躍」「素敵なダンナ様」「かわいい子供」。いいなと思ったり、また自分にはないものだなと思うことが多いけれど、私が大して気にならないのだとすると、私には私の「足りてない水」リストが既に大量にあるからだ。

 

□仕事/趣味

・もっと文章上手くなりたい

・ピアノ再開したい

・今の仕事でもう少し成果出したい

・英語うまくなる

・フランス語思い出す

・そもそももっと賢くなれるとよい

 

□旅行

・北欧

・モンゴルの地平線

・アラスカのオーロラ

・スカイ島

・南米

カリブ海

 ・らくだに乗って砂漠を横断

 

□キレイになる

・肌をなんとか今よりマシにしたい

・お化粧も上手くなれるとよい

・そろそろ年にみあう上品な格好をしたい

・お尻きゅっ

・太ももすっきり

などなどなど。

 

そしてSNSでみかけた「いいな」のうち、心に刺さったものはどんどんこの「足りてない水」リストに足していく。当然一気に全部はできないので、優先順位を決めてゆるゆると消化していく。 何でも急にはよくならないけど、コツコツやってれば絶対今よりマシになる。そして今までよりマシな自分を実感した瞬間や、やりたいと思っていたことを消化できたときに、私は自分自身がとっても幸せだなと実感できるのだ。

 

中には努力しても叶えられない「足りてない水」がある。プロ野球選手になるのもアイドルになるのもタイムリミットがある。どんなに東大に入りたくてもロースクールに入りたくても、落ちる時は落ちる。ただ満たす努力をしていたのであれば、その経験やスキルは必ず別の「足りてない水」を満たす力になる。

 

自分の「足りてない水」リスト(の一部)をみていると、一生かかっても厳しそうなのがちらちらw が、「諦めたらそこで試合終了だよ」というスラムダンク安西先生の言葉を胸に、私はFacebookを見ながら、楽しく生きていこうと思っている。